不登校について考える

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最近、「不登校」という言葉をよく耳にします。

そのキーワードで有名になった人もいれば、
身近な人から言われる、なんてこともあります。

最近になって生まれた言葉ではなく、
昔からあった言葉で、
最近若干注目される事もあります。
この場合は「流行っている」というコメントが適切なのでしょうか?

そしてこの言葉と一緒についてくる印象としては
どちらかというとマイナスな印象でしょうか?

そんな中、自問自答していく中で、
「不登校」について、ある一定の考えが浮かんだため、
本日は、この「不登校」についての考えを綴っていこうと思います。

 

 

 

 

積極的な不登校は、悪いのか?

 

まず、「不登校」の定義をハッキリさせておきたいところですが、
一般的には、「学校に登校しない状態のこと」を言います。

それは、本人の意思に限らず、
また学籍があるかどうかも問いません。
例を挙げるなら、大学受験に失敗して、
浪人しているときも、ある種の不登校になります。

この記事で扱う「不登校」は、学籍があるにも関わらず、
自らの意思で学校に登校しない状態のことに
限定したいと思います。
さらに言えば、小学校、中学校の
義務教育期間にも絞りたいと思います。

一般的にも、不登校のキーワードを
メディアに取り上げられるときは、
上記の定義が多いと思われます。

 

 

さらに、ここから不登校のパターンが2つに分かれるのが
最近の傾向なのですが、
それが

・積極的な不登校なのか
・消極的な不登校なのか

です。

個人的な見解にはなりますが、
私は以下のように定義づけています。

消極的な不登校というのは、
「いじめ、人間関係、病気等を理由に、
不登校になったものの、登校の意思はあり、
登校していない自分に後ろめたさがある状態」

積極的な不登校というのは、
「理由はともあれ、不登校の状態である自分に対し、
後ろめたさはなく、登校しないことへのメリットを考え、
学校教育や環境への提言も兼ねている状態」

 

 

ここで、この記事を綴ろうと思ったきっかけをお話しすると
上記の「積極的な不登校」というものを、
インターネットのとある動画共有サイト、媒体で、
高らかに明言している人に、
非難が殺到したからです。
(以下、この人のことを「不登校者」と略します)

非難の的になった不登校者は、未成年で、
正直、自分の意思のみで
善し悪しを判断することは、
一般的には難しい年齢かと思いました。

そもそも未成年が、インターネット上で、
不特定多数の閲覧者がいる動画共有サイトを
利用していいのか等、
利用ガイドラインについては、
私は詳しくない上、
今回の話の主旨とはズレるので、
置いとくことにします。

 

不登校者が、
積極的な不登校を明言する理由はいくつかあったかと思います。

・世の不登校に悩む人を救いたい
・学校に行かなくても、今の時代、自ら勉強する術がたくさんある。
(スマホ、インターネットの普及等)

その意見に対してなのか、
未成年かつ、義務教育も終わっていない
不登校者の主張に対してなのか、
とにかく非難は相次いだわけですが、
その非難する側の意見としては、

・義務教育は終えないと、日本では仕事がない
・行きたくてもいじめ等で不登校になっている人もいる。
 この人の不登校は甘え
・自分で調べるにも、調べる技術が必要。義務教育を受けないと、
 調べることもろくにできない
・学校で手に入れるものは、知識だけではない。
 人間関係を学ぶところでもある

こんな感じでしょうか。

 

 

私の見解としては、
元も子もないことを言いますが、
どちらの意見が正しいかはわかりません。

そして、どちらの言い分も、明確な意思と、
考えがあるのがわかります。

考えというより、
経験から出てくる未来予測というべきでしょうか?

 

 

お伝えしたいことは一つ

 

ここで表面的な意見の考察や、
どちらの意見が正しいかという見解も、
あまり意味はないと考えます。

私がこの記事を書く理由として、
もし
「とある考え方の結果、非難し」
「その考え方に自分が気づいていない場合」は
非常に注意が必要だと伝えるためです。

不登校者が、
一般的に、人が想像する生活や人生設計から
大きく外れていることは、
誰もが思う感想であり、
その結果どんな未来が待っているかは、
誰にもわかりません。

それを今の時点で、
非難するのも、賛同するのも難しく、
今は、ある種、お互いがお互いの考えをぶつけ合い、
その結果、自分の正しさを再認識したり、
同じ考えの人との共有を図り、
結束を高めるための時間と化していると思います。

最も重要で、それを自分で認識すべき点は、

「非難するとしたら、その非難の理由は何か?」

です。

 

多くの人にとって、その不登校者は、
自分にとって身近な存在ではないはずです。
自分の子どもでもなければ、親戚でもないはずです。

遠くの、インターネット回線を通してしか、
相手の存在を認識できない、
もっと言えば、その人からは、認識されていない存在であります。

不登校者が、義務教育を放棄し、
最終学歴が中卒にも満たない状態になった時に、
非難する人にとってどんな心理が働くのでしょうか?

 

正直「どうでもいい」と思うのが
私です。

 

しかしそう思わない人が多くいるから、
非難が相次いだわけです。

 

非難する理由が、これだったら、
まずいという理由をお伝えします。

なぜ非難するかの理由ですが、

「不登校者が、その結果、成功されると困るから」

です。

 

人は、困難があっても、
努力や、周りの人間関係、
時には運や考え方ひとつで、
乗り越えることができたりします。

しかし、どんな能力者でも
変えられないものは「過去」です。

不登校という道を、
積極的に選ぶことで、
その斬新な人生選択をした結果、
大成功を収めたとしましょう。

その裏返しに、
不登校せず、まじめに義務教育を受け、
学歴というひとつの物差しを、
ある程度重視した人の過去があり、
その大半を、その不登校者の大成功のせいで、
全否定されたと思う人も中にいるのです。

全否定されたと思って、変えようと思っても、
それは「過去」であり、
もう変えることのできない、
過ぎた自分の人生になります。

 

つまり、不登校者に、
絶対に、自分の過去の否定など
されたくないわけです。

 

人生半ばになって、
自分の過去の義務教育が、
実は時代遅れで、
学校教育を受けず、
自らの手で勉学に励み、
それで大成功したという事例をたたきつけられたら、
それは、その後の自分の未来が暗転し、
その暗転は晴れることはありません。

だから、絶対に成功してほしくないのです。
だから、そんな不登校という人生を歩まず、
みんなと同じように学校に行き、
みんなと同じように過ごしてほしいのです。

それが、誰だかわからない人であっても。

自分の人生と根本的に違う、
異端なことをされて、
成功されたら、
困る人が、世の中に一定数いるのです。

そして、そんな人に限り、
不登校を行うことによるデメリットを
あたかも専門家、人生の先輩として、
もっともらしいコメントをし、
時には強く非難するわけです。

つまり、不登校者を
非難する人の一部に、
自分の保身でする人がいるということです。

 

 

言っておきますが、
全員がそうとは限りません。

 

ですが、非難を平気で浴びせてくる人の真意を
考えた方がいいと思います。

さらに言いますが、
私は決して、不登校擁護派ではありません。

はっきり言って、
多くの人が進む道、
ましては自分で善し悪しの判断ができるほどの
知識や経験がない状態で、
全く違う道を歩むのは、
やや危険かなとも思います。

しかし、その先には、
多くの人が、当然のように見過ごした
特別な風景があるかもしれません。
もちろん、何もないかもしれません。

学校教育を受けずに、
歩む人生の先に何があるのか、
個人的には知りたくもあります。

私にはできなかった人生の選択です。

 

非難するものいいと思います。
その不登校者の人生を本気で考え、
専門的な立場で、客観的にアドバイスをしてくれる人がいたとしたら、
その人は、不登校者の身近にいるべき人でしょう。

ましてや、未成年の義務教育中の人に、
人生の決断を、この瞬間に全て委ねること自体
どうかなとは思います。

信用できる人
誰でも構わないので、
たくさん話をし、
知見を増やすべきでしょう。

 

何が一番よくないことか

「非難の理由が、自分の過去への否定を避けるため」
「それを気づかずに、非難し続けること」

です。

 

他人の人生の成功は、
自分の過去の否定には繋がりません。

もしそのように考えていて、
他人の人生を非難することがあれば、

根本の問題は
他人の行動が原因ではなく、
自分の過去を肯定できない自分に原因がある。

と考えるべきです。

 

全く違う人の成功の裏返しが
自分の過去の失敗を意味するのではなく、

全く違う人の成功の裏返しは
その人と全く違う自分に、成功があってもいいことを意味します。

 

 

教育のありかたや、
学校で得ることのできる財産、
それを自ら放棄するやり方、

それぞれに思惑があり、
その行動自体に、私は何か意見することはできませんし、
しません。

しかし、非難する理由が、
あたかも不登校者のために言っているかのような態度で、
実は、自分の過去を否定されたくないから、
足を引っ張る感覚で、非難し、
その行動を自ら理解できていない場合は、
それはやめた方がいいです。

自分に原因があります。

それは、この先どんな状況になっても
自分の足枷にしかなりません。

 

 

 

以上になります。

ふわっとした内容にはなりましたが、
ずっとこっそり考えていたことを、
明言できたことは、良かったかなと思います。

また別の記事でお会いしましょう。

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