大曲花火がなぜこんなに私の心に定着したのか??

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平成最後の夏

と言われ続け、
だからという理由で
これでもか!!謳歌する人もいれば、

だからといって!!と
余裕噛まして
例年通り過ごす人もいます。

私はというと、
どちらかといえば後者かなと
感じるのにも理由があり、

そう思わせてくれたのは、

「暑さは続くものの
暦の上では夏も終わりかけ」
といった時期に行われる
大イベントのおかげだな
と、日々感じるわけです。

 

 

 

平成30年8月25日
秋田県大仙市大曲の街は
80万人もの人達で賑わうわけなのですが、

台風20号の脅威に怯えながらも、
現地の方々の「想い」や「力」のおかげなのか、
はたまた
はるばる都内からの一向方々の不思議な力のおかげなのか、

なにはともあれ、
今年で92回目になる
大曲花火大会は無事開催されたのでした。

今私は1/80万として
当日の余韻に浸りながら、
今パソコンの前のいるわけです。

 

(話は変わって、今回の台風21号の被害は、
東京からメディア越しにしか、知ることはできませんが、
被害に遭われた方々へ、
心からお見舞い申し上げます。)

 

 

自分ではそう思っていないんですが、
側から見たら立派な「花火好きな人」と
言われるのにも

「無理はないか」

と最近感じるわけですが、

それは
故郷でもなければ
今までゆかりのなかった
秋田県へ
花火の見に行く
そのためだけに降り立つのも
今年で4回目であることを
改めて実感したからでした。

 

少しグチをこぼすと

この大曲花火大会は
「よし行こう」と思い立ってから、
当日までにやることが山ほどあり

8月のこのイベントのために
3月に準備をし始めるので、
決して早すぎることはないと
実感しているわけです。。

ただ私が言いたいのは、
そこまで大変な準備をしてまで
毎年足を運んでしまう理由は
なんだと

ふと考えてしまった
ということなのでした。

「たかが花火」

そう言われてしまえば
返す言葉は、これといって見つかりませんし、

特に反論する気もありません。

 

誰かに説明するために
旅行しているわけでもないのが
大前提であるものの

せっかくふと、「なぜだろう」と
考え始めてわけですから
いい機会なので
私なりにその「なぜ」に答えて見ようと思いました。

 

 

 


どの席からでも、花火が見えるように、
打ち上げ場所を変えてくれる配慮

例年、真ん中よりやや右に寄った席で見ることが多いのですが、
なぜか、というのもおかしいですが
「十分過ぎる」ぐらい
綺麗に見えまする。

もちろん、遠くで上げられてしまうこともあるが、全く気にならない。

何度でもいうが、80万人が一つの花火を見ている状況で
皆が平等に見えるということを実現させるのは
相当難しいと思わせて、

「答え」に近い形で
提供してくれます。

 

右に上がれば、次は左。
真ん中に上がれば、次は左右。

 


このメリットは、「もう一つ」あり

「花火の煙がたまりにくい」という点です。

実は、大きな花火の一つの天敵では
花火から発生する「煙」

意外と煙がたまり、
花火の前側に煙がたまると、
「まあ!見えない!!」という事案が
度々発生するのが
花火の不確定要素です。

それが、明らかに少ないのが
大曲花火大会の魅力の一つかと思います。

 

 

 

 


圧倒的なキャンバスに広さ

一応、花火を打ち上げる空
をキャンバスと表現させていただいたのは、
月並みで大変申し訳ないのですが、

そして、
決して高い建物がない場所であることを
過剰に言いたいわけでもないので
そこは、勘違いしないでいただけたらと思いますが、

これが
圧倒的に花火の良さを引き出していると
かなり確信を持って言えます。

 

 

一発目の花火が上がった時に
「あっ!違う」(都内と違う)
と思ったわけです。

「ビルとビルの隙間から見える花火」
ではないわけです。

そこには「花火」しかないわけです。

(何でも言いますが、
他に何もない場所だとか
そういうことを言いたいわけではありません)

 

 

 


なぜか感じる「帰ってきた」という感覚

なぜでしょう。これは、完全に理解できてないのですが
故郷でもないのに、
この花火を見ると

「あ またここに帰ってきた」
という感覚になるんです。

 

・圧倒的な派手さもある
・花火のクオリティも高い
・一つのショータイムとしての要素もあり

はっきり言って
相当エモいイベントであるんです。

(エモい = 感情が揺さぶられるような感覚)

 

 

しいて言えば、
競技なので、
30近くの花火師さん達が
腕を競い合う場でもあるので、

ルールもあるので、
競技中は
淡々としているといえば
そうかもしれません。

 

 

しかし、
なぜか、ぼーっと見ていると、

「今年もこれが見れた」
という、
何とも言えない多幸感に
包まれる瞬間があるんです。

 

これを感じる理由としては

90回以上続くイベントであるが故、
大きな変化がないという言い方もできますが、

なにより、
大きな変化がないが故の
「確かな安心感」が、そこにあるなと
思ったわけです。

 

良くも悪くも
花火を見ながら
眠気に襲われた人もいたわけで、

それは
「その花火が楽しくないって意味じゃないの?」
という質問があった際には

「そうではない!」と言い切る自信があります。
(エビデンスはありません)

 

 

現代で多いのは
いかに一発大きいものを見せて、
大きな反応を得るか

という点が
かなり重視されていると思うわけですが、

そうではないところ、

つまり、
質の高い魅力を
いかに継続させていくか

そこがホームであるかのように
人の心にしっかりと定着させるか

という点で
大きな魅力が保たれているのが、
この大曲花火の最大の良点と
言えるのではないかと
感じたわけです。

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